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6月27日更新記事:

トラフィック獲得に欠かせない12のプッシュ型テクニック

自ら立ち上げた会社を追い出される。

一体どんな気持ちなのか、想像に絶します。

しかし、アメリカにおける全創業者の約半分は第3投資ラウンドまでにCEOをクビになっているという調査結果も出ており、起業を志す以上決して他人事ではないことであると考えるのが賢明でしょう。

本日は、自ら会社を立ち上げながら、最終的に会社やその地位を追い出されるハメになったIT起業家のストーリーと現在の様子をお伝えします。

何故創業者が追い出されるのか

そもそも何故最も辛い時期を乗り越えた起業家が会社を追い出されなければならないのでしょうか。

直感的に思い浮かぶのは、業績の悪化でしょう。

たとえ創業者だとしても、利益を生み続けることが最大の目的の1つである企業の持続的成長を支えられなければ、投資家やコンサルタントの判断によりそのクビが飛んでもおかしくはありません。

一方で、創業期の業績が極めて良好な場合こそ創業者のクビが飛ぶ可能性が高まるとの意見も存在します。

ハーバード・ビジネススクールのNoam Wasserman教授はこの現象を「アントレプレナーシップの逆説」と呼び、「創業期の成功に必要とされるスキルセットと急激に拡大する組織の成長を管理するためのスキルセットのギャップ」が投資家やコンサルタントの間に懸念を引き起こすことに由来していると説明します。

業績が良すぎてもダメ、悪くても勿論ダメとなかなか難しいのが現実ですが、会社の実権を握り続けたいのであれば、ボードメンバーの構成やシード・アーリー投資を最小限に押さえるなどの事前対策が必要不可欠です。

定説はほどほどに、以下では実際に超有名IT企業やCEOの地位から追放された創業者10人のストーリーとその後を見ていきたいと思います。

Eduardo Saverin(Facebook)

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映画「ソーシャル・ネットワーク」をご覧になった方であれば、Saverinのおおよその経歴をご存知でしょう。

ザッカーバーグのハーバード時代のクラスメートだったSaverin。

Facebook創業期にはビジネスマネージャー兼CFOとしてその手腕をふるい、Facebookの初期投資を集める上で大きな役割を果たしました。

しかし、Facebookの成長とともに、よりビジネス経験の豊富なPayPal協働創業者のPeter ThielやNapsterの発明者Sean Parkerが経営に関する実権を握り始めることになります。

結果としてSaverinの地位は揺らぎ、自ら立ち上げに関わったFacebookを追い出されるハメになったのです。

その後SaverinはFacebookを相手に泥沼の法廷と嘘を繰り広げ、詳細こそ明かされていませんが、最終的には共同創業者としての地位を認められ、巨額の富を獲得したと言われています。

Saverinは2009年にシンガポールに移住し、2011年にはアメリカの市民権を放棄。

この動きは、数ヶ月後に控えたFacebookのIPOによって巨額の税金を支払わなければいけないためだったとメディアは伝えています。

現在は33億ドルの個人資産を抱え、シンガポールに居を構えているそうです。

Martin Eberhard(Tesla)

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Teslaの創業者と言えばイーロン・マスクを想像する方がほとんどですが、創業者が2人いたことはあまり知られていません。

そもそもイーロン・マスクは2003年の創業時の創業者に名を連ねてはおらず、彼がボードメンバーに加入したのは2004年のシリーズA投資からだったのです。

シリーズA投資以降はイーロン・マスクが事実上Teslaの実権を握り、以降の投資ラウンドはもちろん電気自動車のデザイン細部にまで関与。

そして2007年、Teslaは突然創業者の1人であるMartin Eberhardがボードメンバーから退くことを明らかにします。

Teslaはメディアに対してEberhardがボードメンバーの決定によりCEOの座を退くことになったと説明しますが、その理由について明かすことはありませんでした。

事態が急変したのは2009年。EberhardはTeslaとマスクに対して誹謗中傷や契約違反を理由に裁判を起こします。

これに対してイーロン・マスクは関連文書などの証拠を記した長文のブログを執筆する徹底抗戦の構えを見せ、Eberhardがボードメンバー全体の合意によって追放されたと主張。

結局両者は示談での和解に至り、Eberhardもマスクの貢献を認める文書を公開して事態は鎮静しました。

Eberhardはその後ヴォルクスワーゲンに参画し、現在も自動車系スタートアップに関与しているとされています。

Noah Glass(Twitter)

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ほとんどの人はNoah Glassを知らないかもしれません。

Glassは、Twitterの前身であるOdeoを共同創業者であるEvan Williamsと共に立ち上げた人物。

元々ポッドキャストサービスとして立ち上がったOdeoでしたが、直後にAppleがiTunesをローンチしたことにより、Odeoの創業メンバーは新規事業を生み出す必要に迫られました。

そこで登場したのが、今や知らない人はいないであろうTwitter。

日本でも有名なJack Dorseyもその創業者に名を連ねました。

Twitterのアイディア構想段階から中心人物として活躍し、そのサービス名も考案したGlassでしたが、当時財政的な実権を握っていたのは共同創業者であるWilliams。

WilliamsはTwitterを当時のエンジェル投資家から買収し、その後Glassを解雇するに至りました。

その理由は諸説語られていますが、①「WilliamsはTwitterのポテンシャルを知りながら当時はあえてこのサービスを過小評価することで時価総額を下げ、実権を握ろうとした」という話や、②「当時結婚生活が上手く行っていなかったGlassの精神不安定状態を懸念したDorseyがWilliamsにGlassの解雇を迫った」という説が濃厚です。

その真相は定かではありませんが、共同創業者に裏切られた形で自らの会社を追放された形に終わり、現在はソフトウェアデベロッパーとしてのキャリアを歩んでいるそうです。

Jack Dorsey(Twitter)

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Glassの追放ストーリーにも登場したJack Dorseyは、当時Odeoの実権を握っていたWilliamsがTwitterを会社として独立させた際に、CEOに就任しました。

順調にグロースしていたTwitterでしたが、CEO就任からたった2年後にWilliamsはDorseyを解雇。

Glassと同じ運命を辿りました。

Dorseyの解雇理由は未だ謎に包まれていますが、最も有力な説はWilliamsとのプロダクトに対する考えの違い。

Williamsは言論の自由の思想に基づいた自由にどんな情報でも発信出来るサービスを理想に挙げていたのに対し、Dorseyは「今なにしているか」というタイムリーな情報をつぶやくサービス観を推進し、この対立が主な原因だったとされています。

事実上共同創業者2人を解雇することになったWilliamsでしたが、ボードメンバーの総意によって本人もDorseyの追放から2年後にTwitterを退陣。

その後CEOに就任したDick CostoloはDorseyを会長として呼び戻しました。

万事順調に見えるTwitterの成長も、裏では泥沼の戦いが繰り広げられていたのかもしれません。

Andrew Mason(Groupon)

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2006年、当時ソフトウェアエンジニアとして働いていたAndrew Masonは、とあるウェブプラットフォーム立ち上げに向けて1億円を調達。

結果としてそのプラットフォームは実現に至りませんでしたが、構想は徐々に変化し、現在のGrouponの基となるサービスが誕生しました。

Grouponは2010年までに年間収益が800億円を超えるサービスに成長。

一時はGoogleが6,000億円で買収しようとも試みましたが、Masonはそのオファーを断り、2011年に上場を果たしました。

しかし、Grouponのビジネスモデルの限界とMasonのとっぴな行動は大幅な株価の下落を招き、マスメディアからはその年最低のCEOに選出されるほどに。

2013年にはとうとう会社を追放されただけでなく、Masonが報酬の大半をストックオプションで受け取っていたことから、解雇手当はたった4万円だったと言われています。

驚くことにMasonは会社から追放され後に「Hard Workin’」という7曲が収録されたアルバムをiTunesとSpotifyで発売。

アルバムのカバーによると、このアルバムは新たに社会人になる若者に向けたアルバムだそうです。

Rob Kalin(Etsy)

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Rob Kalinは、手芸品のオンラインマーケットプレイス Etsyの共同創業者。

彼のストーリーで特筆すべき点は、2回も同じ会社のCEOの立場から追放されている点です。

彼が最初にCEOの座を譲ったのは創業から3年後の2008年。

投資家の強い圧力により、元国営ラジオのエグゼクティブのMaria ThomasがKalinの後を引き継ぎました。

しかしその1年後、ThomasがCEOの座を降りると、Kalinは再度その座に就任。

2年にわたってCEOを務めましたが、2011年にはより早いペースでの成長を臨むボードメンバーに迫られ、当時CTOであったChad Dickersonにその座を譲ることになりました。

Steve Job(Apple)

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Appleのシンボルとも言える共同創業者Steve Jobsは1985年、当時のCEOであり対立関係にあったJohn Sculleyをクビにしようと試みた結果、その方針に反対を唱えられ会社を去りました。

しかしその後Appleの業績は急速に悪化。

その一方でコンピューター製造スタートアップNeXTを立ち上げたJobsは、スケールに成功したわけではないものの、製品のイノベーションが評価され、1996年にAppleはNeXTを買収。

NeXTの創業者であったJobsはそのままAppleのCEOに就任し、2011年に惜しまれながらもこの世を後にするまでの活躍は皆様ご存知の通りでしょう。

Jerry Yang(Yahoo!)

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1995年当時スタンフォード大学の学生だったJerry Yangは、クラスメートのDavid Filoと後のYahoo!となる「Jerry and Dave’s Guide to the World Wide Web」を共に立ち上げました。

主にプロダクト開発に取り組んでいたYangは2007年になって初めてCEOに就任することになりますが、Microsoftからの4兆8,000億円にも登る買収オファーを断ったこと、そして業績の悪化に伴ってたった1年半でCEOの座から後退。

2012年までYahoo!にボードメンバーとして残り、一時はCiscoのボードメンバーにも就任しましたが、現在ではその全ての役職を退き、エンジェル投資家として活躍しています。

Jakob Lodwick(Vimeo)

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2004年、Jakob Lodwickは動画共有サービスVimeoを共同創業者の Zach Kleinと共に創業。

2006年にはその可能性目をつけたIAC/InterActiveCorpによって買収されますが、経営陣はLodwickのブログを通じた挑発的な発言の数々を懸念し、2007年に突然の解雇通知を突きつけたとされています。

Lodwickは現在ソフトウェアエンジニアリング会社のCEOを務める他に、Tumblr.への投資を含む投資家としての一面も見せています。

Sandy Lerner(Cisco Systems)

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Cisco Systemsの共同創業者であるSandy Lernerは、1984年、当時のボーイフレンドLeonard Bosackと共にCisco Systemsを立ち上げました。

順調な成長を遂げていたCiscoでしたが、セコイアキャピタルによる30%の株式を取得した資金調達を境に状況は一変。

セコイアキャピタルはLernerの許可無くJohn Morgridgeを新たなCEOに就任させ、サポーターであるはずのVCに会社を乗っ取られる形で会社を去りました。

その後Lernerはスタートアップへの投資活動の他に動物愛護団体の代表やオーガニック養鶏場のオーナーとして活躍しています。

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6月27日更新記事:

トラフィック獲得に欠かせない12のプッシュ型テクニック

最後に

自ら立ち上げた企業もしくはCEOの座を追放された10人の実例を見てみると、その理由は投資家との軋轢、共同創業者間の不和、業績の悪化、求められるスキルセットとの不一致など、実に多様であることが分かります。

傍から見るだけではもちろんその真相の全てを把握することは出来ませんが、投資家選びや共同創業者の選択は慎重かつ計画的に行う必要があると改めて認識出来るのではないでしょうか。

参考:

7 Founders Pushed Out of Their Companies

10 founders who got the boot

Founding CEOs Fired By Their Own Companies

10 Incredibly Successful Founders Fired By Their Own Companies